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コラム

「世界」を読む no.11
ウクライナ出身の著者が描いた現実と幻想の交錯〜『巨匠とマルガリータ』『犬の心臓』より

加賀山 卓朗

忘れもしない、高校3年のとき、家にあった世界文学全集の『罪と罰』をたまたま読んで、頭をぶん殴られたような衝撃を受け、そこから大学時代にかけて米川正夫訳のドストエーフスキイ全集(河出書房新社)を、熱病に浮かされたように読みきった。よくある「無人島にどの本を持っていきますか」という質問には、躊躇なく『カラマーゾフの兄弟』と答える(あと1冊持っていけるなら、ジョン・ル・カレの『パーフェクト・スパイ』を)。

なぜド氏にそんなに惹かれたのかはわからない。人との出会いと同じで、多分にそのときどきの縁というものがあるのだろう。どの作品も、登場人物のほぼ全員が弱い人間だからかもしれない(カラマーゾフの乱暴な父親フョードルや、大審問官の大胆不敵な物語を語る次男イワンとて例外ではなく、本当の意味で強いのは三男のアリョーシャと『白痴』のムイシュキン公爵だけ)。いずれにせよ、読書はそこからトルストイやチェーホフなどほかのロシア文学に広がり、ずいぶん楽しませてもらったという思いがある。

なかでも印象に残っているのは、『巨匠とマルガリータ』(水野忠夫訳、河出書房新社)のブルガーコフだ。生前は体制批判者と見なされた不遇な作家で、『巨匠とマルガリータ』も死後26年たってようやく出版され、世界的に評価された。

悪魔の一味がモスクワの街に現れて人々を大混乱に陥れるストーリーは、現実と幻想が入り混じる、奇妙、滑稽、猥雑、奔放、ハチャメチャ……どう表現すればいいのかわからないような不思議な世界だ。だからこそと言うべきか、キリストの処刑を命じたピラトゥス(ピラト)総督の小説を書いて文壇から追放された「巨匠」と人妻マルガリータの純粋な恋愛が際立っている。マルガリータが魔法のクリームを体に塗って自由に空を飛ぶところなど、宮崎駿作品にもつうじる雰囲気ではないだろうか。思えば、悪魔とキリストというテーマは、カラマーゾフの大審問官とも通底している。

ソ連時代に発禁処分になった『犬の心臓』(水野忠夫訳、河出書房新社)も、犬が人間の脳下垂体を移植されて人間のようになり、過激な行動が増えすぎてまた犬に戻されるという、社会風刺が強めの作品だが、じつにおもしろい。

このブルガーコフは、ウクライナのキーウ(キエフ)出身。先月末からのロシアの攻撃でも標的にされている首都だ。それにしても、この軍事行動は何なのか。自国民を守るため? 選択の余地がなかった? 2014年のクリミア併合のときにもプーチン大統領は似たようなことを言っていたが、そんな口実が通用するなら、世の中のほとんどの軍事侵攻は是となってしまう。実際にNATOの圧力は強かったのだろうし、わが国の報道が西側に偏っているのは承知している。ロシア文学とロシアの政治がちがうことも頭ではわかっているけれど、気持ちの整理がつかない。





【執筆者プロフィール】
加賀山卓朗(かがやま・たくろう)
1962年生まれ。翻訳家。おもな訳書に、『スパイはいまも謀略の地に』(ジョン・ル・カレ)、『ヒューマン・ファクター』(グレアム・グリーン)、『夜に生きる』(デニス・ルヘイン)、『大いなる遺産』(チャールズ・ディケンズ)、『チャヴ』『エスタブリッシュメント』(オーウェン・ジョーンズ/依田卓巳名義)などがある。

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